「わがケンブリッジ」


   


                             法文学部人文学科助教授   小川  勉

 

97年3月,文部省在外研究員としての私の米国行きが正式に承認された。20代をいくつも出ない青年の日に初めてその地を踏み,いつかはと決意を胸に抱いたケンブリッジを再び訪れる日が目前に迫った。英語学という私の専門から,ハーバード大学言語学科で,日本人の久野ワ教授の指導を仰ぐことになった。ニュー・イングランドの地にあるケンブリッジ市は,その名前が示すとおり,イギリス文化の影が濃い地域である。ハーバード大学は,チャールズ川をはさんでケンブリッジとボストンの両市にまたがって広がっている。

 

8月23日,機中の人となり,サン・フランシスコを経由,ボストンのローガン空港まで,計16時間の旅であった。タクシーで海中トンネルを抜けてケンブリッジまで約20分,あっという間に一週間投宿する予定の,ヴィクトリア様式の建物が美しいB&Bに到着した。

 

留学生を扱うインターナショナル・オフィスは,ハーバード・スクウエアに位置するホリオーク・センターにある。そこから道路ひとつ隔てたところが,ハーバード・ヤード,またはオールド・ヤードと呼ばれる大学の中枢部で,ここは何事もカジュアルなこの国でもさすがに重々しい独特の雰囲気が感じられる。厳しい門と黒い鉄柵で囲まれたヤードに歩を入れると,広がる緑の芝生に大木が枝を伸ばし,赤いレンガの建物に混じって石造りの建物や白い尖塔を持ったチャペルが鎮座している。

 

中でもひときわ目立つのが,白い円柱が美しいギリシャ風の大きな建物,ワイドナー・メモリアル・ライブラリーである。この建物は,あの豪華客船タイタニック号の事故で亡くなったわが子を追悼して,両親から寄贈されたものである。創建は,合衆国の建国よりも古く,当時の富裕階級の片鱗が伺い知られる立派さである。折からの映画『タイタニック』ブームも重なり,訪れる観光客が後を断たない。正面玄関には,観光客お断りという趣旨の掲示が出ている。その文言がマルチ・リンガルでなされるところが,ケンブリッジのインターナショナルな性格を表していて,おもしろい。3階には,人文系研究者及び学科の研究室がずらりと並んでおり,人の気配も感じられないほどの静かさである。地下は3階まで書庫である。窓側に机があるが,多くは既に「主」がある。この書庫と3階の学科研究室とが,私の多くの時間を過ごした場所である。

 

9月15日,ハーバード大学の秋学期が始まった。待ちに待った日である。私の受けた最初の授業は,機能文法の世界的権威であられる久野教授のものであった。この,白髭を頷に蓄えた神仙のごとき学者は,他方,長年のアメリカ暮しからか,軽妙な洒落の達人でもあるが,それが分かるのはずっと後のことである。

 

小さなゼミ教室は,中央に大きく机がしつらえてあり,それを囲んで着席する。10人も座ると,もういっぱいだ。緊張感の中で講義が始まった。60分間の英語だけによる講義である。ただひたすら聞き,考えるうちにいつしか講義は終ってしまった。自分の専門とはいえ,母国語以外のことばで思考し表現することが,こんなに大変であるとは!

 

既に始まっていたMIT(マサチューセッツ工科大学)の授業は,大いに趣が違った。授業が行われる大教室は,チョムスキー教授の授業を受けようという150人くらいの人でほぼ満員である。授業開始のベルが鳴る。チョムスキーが現れる。変形生成文法の生みの親であり,最近では反戦論者としても注目されている彼は,落ち着いた初老の学者であった。ラフなセーターを脱いで椅子にかける。その一挙手一投足に,皆の視線が注がれる。そして講義が始まった。この大勢の受講者は,大半がMITを含む世界中の研究者たちで,同窓の研究者達も数多くいる。

 

授業は1コマ60分で週2,3回,または1コマ2時間ないし3時間で週1回といった形になる。ハーバード大学では休憩時間が設定されていないので,時間が来ると教室の前に学生が集まり始める。そのざわめきで,授業が終る。昼の時間帯にも授業が入るので,運が悪ければ昼食は夕方までお預けということになる。そうでなくても学生は皆忙しく,昼食の時間帯には,フレンチ・フライをつまむ間もノートを開けた姿が溢れ,ピザをくわえて走る男子学生も見られる。大学と寮との間を結ぶシャトル・バスも,夜半過ぎまで運行されている。こうして,5日間は文字どおり寝食を忘れた生活を送り,週末にはたっぷり睡眠をとったり,パーティーを楽しんだりする。

 

大学院の授業は,1学期4科目が限界と言われている。関係図書の一覧表が,第1回目の講義で配布され,授業はそれを読んだことを前提として行われているから,授業について行くだけでも大変なことだ。ペーパーと呼ばれるレポートの類が何度か科せられ,その上に何時間にも及ぶ学期末の論述試験がある。市バスが止まり,ケンブリッジ,ボストン一帯の学校が休校になった猛吹雪の日でさえ,大学はいつもながらの学生の群れで一杯であった。学生が休まないので休校にならないとか――寮住まいの者が多いためだろうか,いずれにしても,それほどにも授業への出席が重視されているということだ。「大学はレジャーランド」などということは,思いもよらない。授業では,自由で活発な討論が大いになされるが,お喋りや私語の類はいっさい無い。学生は独自性のある意見を出すために積極的に授業に参加し,教授者に認められようと懸命なのだ。さらに教室内外での喫煙が無いのには大いに助かった。第一,建物内が清潔である。

 

こうして,10ヵ月の研究生活も終りに近づいた頃,久野教授御夫妻のお招きを受けて,サヨナラ・ディナー・パーティーのために,ベルモント市にある御自宅に伺った。同市はハーバード・ヤードからケンブリッジ市街を抜けて,山手方面に車で30分余りの閑静な住宅地で,緑豊かな当地方でもとりわけ緑が多い。近年では,皇太子妃雅子様がアメリカ御滞在時代に過ごされた所として有名だ。教授邸は,前庭を飾る群れをなすスズランと石楠花,裏庭には500本のチューリップ......と,花の頃を過ぎてもなおそのみごとさが容易に想像される。先生御夫妻はもう30年もここにお住まいであるとのことだ。

 

この日は,昨年9月からのアカデミック・イヤーに苦楽を共にしてきた客員研究員たちが顔を揃えた。それぞれ自国での生活を持ったまま,1年近くの充電期間を共に過ごした仲である。帰国する者,留まる者の別こそあれ,みな目指すゴールは同じである。アルコールの助けもあってか,ハーバードでの成果や自国経済の困難さなどを皆それぞれに口にする。この顔ぶれに,今度はいつ会えるのだろうか。また来年はどんな顔がこの部屋に集うのだろうか。

 

この日を境にして,「留学の終り」,「帰国」が現実味を帯びてきた。そして,慌ただしく,何となく落ち着かない日々を送った後,忘れ難い思い出とケンブリッジを離れる寂しさを胸に,帰国の途に就いた。 

 

(愛媛大学学報1998年12月号に掲載)